日本で初めて自転車を工場生産したMIYATAは、ずっとスチールフレームを作り続けてきました。その技術は海外でも評価され、70年代後半にはスポーツバイクの本場アメリカ、ヨーロッパへ高級フレームと完成車を輸出。とりわけヨーロッパで高級車メーカーとして名高いオランKOGA社にもクロモリフレームを供給することになりました。
1980年にはツール・ド・フランスでCAPRISONNE-KOGAmiyataが、MADE by MIYATAのロードフレームを使用。翌年のツールではチームのエース、ピーター・ビネン(Peter Winnen) が山岳レースの第17ステージ(Morzine - L‘Alpe d’Huez)にて区間優勝を果たしました。彼はその勢いで全工程を完走し総合5位、栄光のマイヨ・ブラン(新人賞)※を獲得するほどの活躍を遂げました。まさに自転車の本場、ヨーロッパでMIYATAがブランドとして認められた瞬間でした。
ピーター・ビネン(Peter Winnen)の勝利を支えたフレームは、ただのクロモリフレームではありませんでした。
MIYATA独自開発、オリジナルバテットチューブ。そのチューブがさらに進化を遂げ、1984年日本の繊細な技術によりSSTB(スパイラル・スプライン・トリプル・バテット)チューブとしてクロモリチューブの究極へと結実しました。
フレームの独創と精神、その技術を今、MIYATAは復活させます。
2011年のモードの関連ブログを見ると、クロモリフレームの注目度の高さがうかがえる。
1980年代、日本製のスチールバイクは熟成の域に達し、世界中で活躍した。
そしてその技術力にアグラをかき、「ラグフレームこそ至高」などと言ってTIG溶接を軽視したため、
台湾勢にそのほとんどを持っていかれることになってしまった日本メーカー。
懐古主義と言ってしまえばそれまでかもしれないが、レース機材が自転車のすべてではない。
日本人職人が手作業で仕上げるミヤタ伝統の渾身作。
イイと思います。
FフォークにはL‘Alpe d’Huez Winnerの文字
スパイラル・スプライン・トリプル・バテットチューブ
なお発売は2012年予定とのこと。
メリダブランドを手に入れスポーツメーカーとして力を入れてきたミヤタだが、
まさかのMIYATAブランドのクロモリフレームの復活は誰もが驚いただろう。
しかし反対に誰が買うのかを考えれば、納得の選択かもしれない。
なにせ今、お金と時間に余裕がある人たちの思い出にあるのは「MIYATA」なのだから。
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