2016年3月7日

学生向けの「自転車事故を描いたマンガ」がおもしろい

新入学や新生活に向けての準備を控え、自転車販売店がもっとも繁盛するのがこの3月だ。
特に自転車通学がメインとなる地域では、その忙しさは他の時期とは比較にならないほど過密したものとなる。

それを見越して、交通安全を喚起する冊子やPOPの類も、この時期に毎年様々なものが登場する。
今回フィクションサイクルがサンプルを入手したのは、ある地方都市で作成された交通安全系の啓蒙媒体だ。

2015年6月1日に施行された「正道路交通法(略称:改正道交法)」を受けて、各メディアがこぞって報道してくれたおかげで、この法改正を知らない者など、ほとんど居ないであろう状況だ。

しかし、実際にはその本来の内容を正しく理解している人は少ない。

ご存知のとおり、イヤホンをしての走行や歩道での暴走などは、法律の改正が施行された現在においても、まるで自分だけは関係ないかのように、依然として日常の景色に溶け込んでいる有様だ。

また、普段から目立った違反もなく、日常的に自転車を使用していた人々も、その報道での危機煽る様子に萎縮し、自転車に乗ることに消極的になってしまったとの声も聞いた。
それは主に高齢者の話ではあったが。

かの田原総一朗氏が 『思考停止大国、ニッポン』と表現したように、われわれ日本人というものは、自分たちを取り囲む環境が如何に変化しようとしていても、その核心について深く知ろうともせず、遠くから眺めただけで考えることをやめてしまうクセがあるのだろう。

これが他国とどう違うかということを説明するのには、自転車大国であるイタリアの思想家アントニオ・グラムシの言葉を用いるのが丁度いい。

どんなに理解するのが難しいことでも
それを自分自身の力で学び、
わかろうとすることを決してやめてはならない

『イタリア人と日本人、どっちがバカ?』(ファブリツィオ・グラッセッリ 著)より
イタリア人と日本人、どっちがバカ?
ファブリツィオ グラッセッリ
文藝春秋
他の文献によれば、グラムシは驚異的な記憶を持っており、政治犯として投獄された刑務所の中においても、マルクスら共産主義者の言葉を常に正確に引用していたと言われている。

残念ながら、フィクションサイクル店長はそこまで優秀な記憶力には恵まれていないため、特に法律関係や、自転車の工業規格について毎度文献を読み漁ることになってしまうのだが、どうも堅苦しい書物は取っ付きが悪い。

その点、今回紹介する冊子はとてもキャッチーである。

アトノマツリ ~甘くみないで、自転車事故~


交通事故をなくす福岡県県民運動本部
http://www.pref.fukuoka.lg.jp/contents/undouhonbu.html


「アトノマツリ」から読み取れるもの



後の祭り
【読み】あとのまつり
【意味】後の祭りとは、時期に間に合わないこと。手遅れのこと。
冊子「アトノマツリ」は近年の自転車に関する様々な問題点を、短いスペースに上手く収めた力作だ。

・イヤホンを付けての自転車運転の問題
・増加する自転車に関する事故
・傘を差しての自転車運転の問題
・多発する高齢者の関係する事故
・自転車事故の高額賠償、刑事責任問題

このあたりが製作者側の意図するところだろう。
カタカナで表記された「アトノマツリ」というタイトルが、ラストで何を意味していたのかが分かり、さらなるホラー感を余韻として残す演出も素晴らしい。

このカタカナを用いる表現には諸説あるが、文字自体に意味をもった漢字を使ってしまうと、イメージが固定しやすく、これほどまで「正体不明の恐怖」を与えることはできないのだろう。

例文を作ってみた。

①これから自転車に乗って君の家まで行くよ

②コレカラ ジテンシャニ ノッテ キミノ イエマデ イクヨ


②では、いったい誰が来るのか?という、未知の恐怖を感じる人が多いのではないだろうか?

一般的なマンガなどでも、カタカナでしゃべるのは謎の宇宙人や差出人不明のメッセージなどであり、その正体をハッキリさせたくない時や、意味が分かると怖いものを暗に表現する時などに多用される傾向が強い。

そのため「アトノマツリ」においても、タイトル書体をホラーチックにしてあるのだろう。

自転車事故の本当の怖さを理解していなかった登場人物の「イソギスギオ」が、終盤になって始めて事態の重さに気が付くという、ストーリーと読み手をリンクさせる、こだわりのある演出だ。



そしてこの冊子にはもちろん続きがある。

読み手を引きつけておてから本題に入る。
まさにセオリーどおりだ。

手法としてはあの「進研ゼミ」とほぼ同じで、読み手となる中学生や高校生が興味を持ちやすい「マンガ」という媒体で興味を惹き、最後に大人たちが伝えたいことを盛り込む。

この書き手が、スギオ少年の口から語らせているメッセージがある。
『昨日の交通安全教室、退屈だったなぁ』

そう、大人たちは気が付いているのだ。
自分たちが行う「自転車の交通安全教室」が退屈なものであることに。

大人になってビジネスの世界に飛び込めば、会社の上司から

プレゼン資料は、相手に分かりやすく、興味を持ってもらえるように作れ

と指示が飛ぶだろう。
文面から察するにスギオはすべてに対して悪態をつく不良少年ではない。
至って普通の男子高校生だ。
その彼が退屈で興味を持てなかったとする「交通安全教室」は、そもそもは発信者側の怠慢が原因である。

ではこの冊子はどうか?
スギオよりは年下だが、試しに中学生の男の子に与えてみたところ、しばらく食い入るように読みふけていた。

これは導入に成功したと言えるだろう。

「こっちは誠意を尽くしたが、相手が興味を示さなかった。だから相手が悪い。」

この言い分はビジネスの世界ではまったく通用しない。
が、子供相手であれば、まかり通ってしまうこともあるのだ。

まだ思考が柔軟な10代のうちに、しっかりとした交通安全意識を高めることは重要だ。
今後はこのような媒体が、日本各地で展開されることを期待している。

※フィクションサイクルはサラリーマンなので、プレゼン資料作りは本業です。

フィクションサイクル的「アトノマツリ」“深読み”考察

自転車界でも、揚げ足取り間違い探しの鬼と、一部の業界関係者から恐れられるフィクションサイクルの視点で、もうすこし「アトノマツリ」に迫ってみたい。

①母親の安全意識に対する疑問
特に落ち度は見られないようだが、その発言が気になる。

「事故にあわないように気をつけて!」
「最近自転車事故が多いわね。うちの子は大丈夫かしら?」

捉え方にもよるが、この母親は自分の息子が被害者になる心配だけをしている。
加害者になる想定はしていないものと考えれば、日ごろの家庭教育にも、落ち度があったのではないかと推測される。

また細かいイラストのため、判定は難しいが、交通安全教室の回想シーンを拡大すると
受講者の全員が白いヘルメットを着用している。
通学ヘルメットはその登校距離が長くなりやすい地域エリアにおいて、学校から着用が義務付けられることが多い。

ほとんどの学生向け安全教室では、みな自前のヘルメットを着用することとなっておりレンタルとは考えにくい。
それは実際の通学でも同様で、練習で着用して本番はノーヘルといった発想自体がおかしいのだ。
つまりスギオは学校から指定されたヘルメットを着用していないと推測される。

スギオは家を出るときにヘルメットをもっていないため、母親も未着用を認知している状況にあるにも関わらず、それを注意していない。
もしこれが事実であるならば、母親の安全意識の欠落は大きな問題点だ。

②スギオのライディングスキルに対する疑問
「見たか!このハンドルさばき!12年のベテランだぜ!」

一定以上のスキルに達したライダーなら当たり前に気づくことだが、自転車のハンドルはさばいてはいけないのだ。
コーナーワークは重心移動で行うもので、バイクは寝かせなければ曲がってはくれない。
特に低速でクイックにターンする場合は、リーンアウト気味の体勢が要求され、ライダーにはハンドルを操作しているという自覚はなく、むしろハンドルを押さえつけるといったイメージが強いはずだ。

つまりこんなことを言ってしまうスギオのスキルには疑問符が付く。

12年のベテランということで、現高校3年生の17歳から12年を引くと自転車経験は5歳からということになる。
仮にスギオが5歳より本格的なバイクトライアルなどを経験していれば、スキルの向上とともに、安全に対する意識もまた変わったものになっていたに違いない。

スギオが自らを「ベテラン」と本気で自負できるほど自転車に真剣に向き合ったのであれば、自転車の危険性も、肌身を持って理解していたはずだ。

この点からさらに飛躍して考えれば、日本に本格的な自転車スポーツ文化が根付かない理由として、子供の育成環境が恵まれていないということにも繋がってくるだろう。

③「傘差し運転は仕方ない」が正論に聞こえる理由
「雨だ!傘差すか・・・仕方がない

もし自転車に乗っていなければ、これは当たり前の対応だ。
しかし、自転車に乗りながらの傘差し運転は危険行為のため、法律でも禁止されており、違反すれば罰金(5万円以下)が待ち受けている。

だからこれは悪いことであり、スギオが擁護される部分など微塵もない。
と言い切ってしまえば、ここで終わる話なのだが、もう少し踏み込んでみたい。

これは日本の自転車普及における最大のネックであり、誰しもが認識している不満点がある。
それは「“非”全天候型移動手段」ということだ。
イヤホンやスマホなら我慢できるだろうが、雨に濡れるのは致命的な問題となる。

現在では行政や自治体も環境問題やエコという大義名分をもとに、自転車の積極活用を訴えてくる時代だ。
クルマをやめて自転車に乗ろう」というスローガンがあるかどうかは知らないが、自転車専用レーンの整備など、その環境向上は自転車乗りにとって歓迎すべきことである。

しかしどんなに環境が整備されても、自転車専用道に雨よけの屋根が付くことはないだろう。

これがもしも、雨の滅多に降らないアメリカ西海岸なら話は別だ。
彼らはパーキングでもオープンカーの屋根さえ閉めない。

だがここは温暖湿潤気候の日本。
突発的な降雨に対抗するには、傘を差すか、レインコートを着る他ない。

その手段のうち、「傘」が禁止されたのだから、代替手段は「レインコート」一択ということになる。
逆に言えば、レインコートを常時携行しないヤツは雨が降ったらビショ濡れになるしかないということだ。
なんと非文化的な扱いであろうか。

朝の天気予報でも、「折りたたみ傘をお持ちください」とは言っても、「レインコートを携帯してください」とは言わない。
羽織るタイプのいわゆる“カッパ”では下半身は雨に濡れるし、かといって上下別の本格レインウエアは携行できるサイズではない。
つまり、傘に比べればすべてハードルが高いのだ。

その昔、駐車禁止の取り締まり強化の時に言われたことを思い出した。

「取り締まる前に、まず駐車場を用意してくれ」

今回の罰則強化もそうだ。
もちろん、片手運転の要因となる傘差し運転は危険であり、根絶しなければならない課題だ。
しかし、傘に匹敵する利便性を兼ね備えた代替手段を講じることなく、一方的に禁止に追い込むのでは、スギオの言った「仕方がない」という言葉が示すとおり、必要悪が蔓延してしまう恐れがある。

ぜひとも、人類はその偉大なる科学文化で、傘に変わる代替手段をそろそろ考え出してほしいものだ。

④事故発生から犯人特定までが早過ぎるという疑問

スギオが校長先生に呼び出されたのは事故当日の昼過ぎ、12時50分頃だろう。
これは、クラスメイトが紙パックのドリンクを持っている写生から、昼食後の昼休みであると判断した。
事故発生は、登校中であり、おそらく8時前後と見て間違いない。

昼の時点で警察はスギオをダイレクトに名指ししてきているため、容疑者断定までにかかった時間は、およそ5時間で、実際にはさらに短い期間で特定されていた。

目撃者が立ち去るスギオの制服から、学校名を証言していたが、そこから犯人がすぐに割れたことには、顔見知りの目撃者がいたということだろう。
もし防犯カメラからの割り出しであれば、もう少し時間を要したと思う。

日本の警察はとても優秀であるといことで、これ以上は特筆する部分はない。

⑤通学車の代名詞ともなったクロスバイク
 だが描き手側が追いついていない点

まず、驚いたのはスギオが学校に通うためにクロスバイクを使用しているという点だ。
もちろん、クロスバイクで通学している学生など山ほどいるのだが、このような挿絵にも登場するとなっては、もはやメインストリームに達したと言えるだろう。

つまり、この作者がクロスバイクをイラストに起こしたということは、クロスバイク通学が流行っているというトレンドをしっかり把握していたとも見て取れる。

もしこれが、一般的な昭和生まれが想像するステレオタイプな通学自転車のお堅いイラストであったならば、スギオの言う「退屈な交通安全教室」同様に、ターゲットの学生たちから退屈な読み物と認定されていたことだろう。
http://www.town.genkai.saga.jp/kurashi/case/kosodate/000002808/

ここまでは非常に評価される部分ではあるが、残念なのは自転車のイラストそのものである。

何かのアンケートで見かけたことがある。
イラストレーターにとって、書きたくない対象は?という質問。

その回答の上位に上がっていたのが「自転車」だった。

このところは自転車に関連するマンガも増えたため、かなり安心して見られるようになったが、どうもその複雑な構成上、自転車のお約束から外れてしまったイラストはまだ見る機会は多い。

もちろん、イラスト相手に本気でケチをつけるつもりは無いのだが、自転車に関わる人間として一番気になって仕方がないポイントだけ言わせていただく。


・チェーンやギアが自転車の左側に描かれている

関連情報
ふしぎな自転車イラスト(よくあるパターン)
http://www.cycling-ex.com/2015/09/okashina_illust.html

許せる許せないとか、そういう問題ではない。
そこだけ違和感があるため、気になって本題が目に入らなくなるのだ。

これは自転車に主として関わっていない人には分からない悩みであり、例えて言うなら、シックス・センスのハーレイ・ジョエル・オスメント君の名セリフ

『ボク、死んだ人間が見えるんだ』

これを言ったオスメント君演じるコール少年に似た気分を、多くの自転車フリークが味わっているという事実を、どうかイラストレーターの方々は、記憶の片隅にでも留めておいて頂きたい。

一部の人間にとって、左側に描かれたチェーンリングは、幽霊を見るのと同じであると。


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